2018/05/17 19:14:22
  • 【霊界物語スーパーメルマガ】基礎(3)信真

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 霊界物語スーパーメールマガジン
      2018.5.17
 出口王仁三郎・著『霊界物語』を
 飯塚弘明がやさしく解説します
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 ╋ 王仁三郎の基礎(3)信真 ╋


神々の中で中心の神・根元の神を主神(すしん)と呼びます。
主神の神格は愛善(あいぜん)と信真(しんしん)が全てです。

愛善とは善なる愛であり、それに対して悪なる愛(愛悪)もあります。
それは以前にお話ししました。
今回は信真です。

信真は真なる信です。
何かの都合で「真信」と霊界物語に書いてある場合もありますが、
たいていは「信真」と書きます。

信仰には真もあれば偽もあります。
偽りの信仰とは、いわゆる偽善者です。
表面には立派な信仰者を装いながら、その実、
心の中では神を信じてなんかおらず、
己の名誉名声のために宗教を利用しているような人です。
信じてもいないくせに神社仏閣・宗教団体に多額の寄付をして、
その御芳名をでかでかと広告してもらっているような人です。

真(まこと)に対して偽りです。
虚偽はすべてそうです。信真の対極にあるものです。
ただし王仁三郎は信真に対して信偽という言葉は使っておらず、
愛善と信真に対して「自愛と偽信」という言葉で表現しています。

天界は愛善信真の世界です。
天界は天国と霊国という2つのエリアに分かれており、
天国は愛善の世界であり、霊国は信真の世界です。
それに対して地獄界は虚偽と悪欲の世界です。
根の国と底の国という2つのエリアがあり、
根の国は虚偽、底の国は悪欲の世界です。

神の子・神の宮である私たち人間は、愛善と信真を極めて、
天界の住人(即ち天人)となることが目標です。

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愛善と信真は、主に第47〜48巻の、天界巡覧の物語の中で触れられています。
●第47巻第19章「化相神」
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm4719
●第56巻(冒頭に地獄界の模式図があります)
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm56
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ところで信仰とか信念とか言っても、その道を極めるのはなかなか難しいものです。
まず、「信じている」ということと「知識として知っている」ということは、
全く異なります。

どんなに教義・教理が頭にすり込んであっても、
それと信仰があることとは別問題です。
神仏に仕える僧職者に偽善者がよくいますが、
知識が沢山あることが信仰深いと勘違いしているのかも知れませんね。

霊界物語をどんなに読んでも信仰が芽生えることはありません。
実際に神に手を合わせなくては信仰は生じません。
神に向き合うことで、信仰が養われます。
教典というのは、そのための参考書に過ぎません。
「神の言葉」をいくら頭にインプットしても、信じていることにはなりません。
「愛は大切だ」ということを知っているからと言って、
その人が実際に愛があるとは限りません。
それと同じです。

信仰が深くなると「神を信じている」のではなく
「神を知っている」という表現をする人がいます。

神に向き合う生活をしていくうちに、
神はいるということを経験則として体感するのです。

教典を読んだり、神様の話を聞いたりしている段階では
知識としての神に過ぎません。

実際に手を合わせてみても、最初のうちは
「もし神様がいるなら願いを叶えて下さい」という、
仮定の神・期待の神であることでしょう。

それが、色々な苦難を乗り越え、宗教経験を重ねていくうちに
「神は我と共に在り」ということが実感できるようになってくるのです。
実在の神・生きた神を感じることが出来るになるわけです。
知識でも、仮定でもなく、経験則です。

一口に信仰と言っても、いろいろな段階があるのです。

また狂信とか盲信というものがあります。
狂信者はたいていは自分が考えていることを信じています。
ヒステリー性の信仰です。
教祖様の悪口を言われたからと言って殺人命令を出すような信仰は狂信です。

自分の信仰が絶対に正しいと信じているわけですが、
それは決して信仰が深いわけではありません。
しょせんは自分の考えを絶対化しているだけであって、
この宇宙に存在する真の神を信じているのではありません。
自分を神として崇めているのです。

信仰ではなく、人を信じる場合も同様です。
子供が罪を犯したのにもかかわらず「うちの子はそんな悪いことしません!」と
ヒステリックにわめき立てるモンスターペアレントなどがそうです。
「うちの子は悪いことをしない」という自分の考えを絶対化しているのであって、
決して子供を信じているわけではありません。
自分の考えを守りたいだけです。
自分のその信念が打ち砕かれるようなことが起き、
自分が作り上げて来た世界観が崩壊し、パニックになって、
その世界を守るために必死になって戦っているのです。

目の前に起きた事実をありのままに受け入れなくては、信仰は深まりません。
信仰とは、自分の考えを信じることではなく、現実を受け入れることです。
自分の考えというのは、しょせんは仮定・仮説に過ぎず、
現実を受け入れてその仮説を変更して行かなくては、進歩発展はありません。

世の中には星の数ほど宗教があるのに、一つの宗教だけが
あるいは自分の考えだけが正しいわけがないでしょう。(笑)
ただ自分は、無数の道の中からその道を選択した、というだけのことです。

信仰の道を王仁三郎用語で「惟神(かんながら)の道」と言います。
王仁三郎に限らず、神道系では古代から使って来た言葉です。

惟神とは「神の御心のままに」という意味です。
それは何事も現実を受け入れるということです。
神に何かを祈願しても、必ずしもそれが成就するわけではありません。
願いが叶わなかったからといって絶望し、ヘソを曲げ、
信仰を離れ、神を否定するようなことでは、信仰とは言えません。

願いが叶わなかった──神の御心に適わなかったという現実を
ありのままに受け入れなくてはいけません。

自分の意に沿わない現実が訪れたからと言ってパニックになるようでは
まだまだその程度の信仰だと言わざるを得ません。

宇宙を信じて、宇宙に身を任せることが、「真の信」と言えるかも知れません。

王仁三郎は「改心」という言葉に「改信」という文字を当てました。
改心というのは、信じていることを改める、信仰・信念を改める、
ということなのです。
世界観・価値観を改めると言ってもいいでしょう。
神様は改心せよ改心せよとしつこく言っていますが、
改心(改信)は一度すればいいものではなく、何度も何度もする必要があるのです。

自分が今信じている小さな世界の、その垣根を取り払い、
より大きな広い世界へと、信じることを改めて行くことが
信真(真の信)の道を進んで行くことになると思います。

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●第60巻の三五神諭では改心ではなく全て「改信」という言葉が使われています。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm6020


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   次回お楽しみに!


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