2019/03/11 20:44:31
  • 【霊界物語スーパーメルマガ】情報サニワ術(8)

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 霊界物語スーパーメールマガジン
      2019.3.11
 出口王仁三郎・著『霊界物語』を
 飯塚弘明がやさしく解説します
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 ╋ 情報サニワ術(8) ╋


「言った」「言わない」の争いは日常茶飯事です。

日常会話を常に録音しているわけではないので、果たして本当に言ったのか言っていないのか調べようがないのですが、よくよく分析してみると、その言葉を発したのかどうかについて争っているのではなく、ある意味のことを言ったのかどうかについて揉めている場合が多く見られます。

ネット上のニュースから拾ってみますと・・・東京・福生の病院で外科医が患者に、人工透析治療をしない選択肢を提示し、それを選択した人が死亡したということが最近問題視されています。

薬品漬けになって苦しみながら生きるよりは、治療を受けずに死を選ぶのもまた一つの人生です。治療しない選択肢を示すのは時代の当然の流れだと思います。「治療しない」ということも含めて患者が治療を選べるようにすべきだと思います。

しかし治そうと思って相談している人に対して、治療しないという道を提案するのは、誤解も生じやすいことでしょう。

毎日新聞の報道によると、この外科医に治療しない選択肢を提示された別の患者の親族は

「『透析する人は国のお金をたくさん使っているので、もう透析はしないでほしい』『命を諦めろ』と言われたように感じた」

ということです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190308-00000039-mai-soci

決して医者はそんなことは言っておらず、その人がそのように言われたと感じただけなんですが、こういうことが、時と場合によっては、言った言わないの争いに繋がって行きます。

「命をあきらめろと言われた」「いや、そんなこと言っていない」──と。

この手の争いは日常茶飯事です。
実際にその言葉を発したかどうかではなく、どういう意味で発言したのか・どういう意味として受け止めたのか、それが食い違っており、言った言わないの争いになるのです。

これは言葉によるコミュニケーションの限界です。
人は、自分の思っていることを正しく相手に伝えることが出来ないし、また、相手が言っていることを正しく理解することが出来ません。

この限界を感じたのは20代の初めの頃、聖書の勉強をしている時でした。
私は結構、物事にハマりやすいタイプで、その時はキリスト教にハマっていました。まだ王仁三郎に出会う前のことです。

キリスト教は聖書を絶対視します。聖書は神の言葉であり、一字一句も間違いがないと信じるのです。
拙著『超訳霊界物語』に書きましたが、聖書研究に没頭し、ヘブライ語を勉強して、原典(旧約聖書の原典はヘブライ語で書いてあります)を読むことにしました。
日本語に翻訳された聖書を読んでも、本当のことは分からないだろうと思ったのです。
一字一句正しいのは翻訳された聖書ではなく、ヘブライ語の原典です。原典を読まなくては、神のメッセージを正しく知ることは出来ないだろうと思ったのです。

それでヘブライ語の原典を買い、ヘブライ語の勉強をし出したんですが、一年ほどたって、どんなに勉強しても、聖書の意味を正しく知ることは出来ないと覚りました。
旧約聖書は二千年以上前に書かれたものです。
日本語でもそうですが、千年前、二千年前の日本語と現代の日本語では、意味が違って来ています。
聖書に書かれた言葉の正しい意味なんて分かるはずがないのです。

そしてそれよりももっと重大な事実に気がつきました。
そもそも神は、ご自分が思ってらっしゃることを正しく言葉で書き著わすことが出来たのであろうか、と。

聖書は神の霊感を受けて筆録者が書いたということになっています。
神から受けたメッセージを一字一句正しく書いたとしても、そもそも神が思っていることを言葉で正しく伝えることには限界があるのではないのか? だから聖書研究というものが二千年ものあいだ行われているのです。
二千年研究して分からないことは、これからも分かることはないでしょう。

このことに気づいてから聖書に冷めて、他の宗教も勉強するようになりました。

霊界物語にしてもそうですが、書いてある文字を絶対化して研究しても、あまり意味はないのです。
それは「文献学」です。文字面の研究も大切ですが、しかし宗教としては、文字面を読むのではなく、その向こう側にあるものを読まなくてはいけません。
いわゆる「行間を読む」というやつです。
言葉を通して神の御心を覚ることが重要なのであって、言葉自体に捕らわれてはいけません。

宗教の場合、神の御心と言っても、神が親切丁寧に答えてくれるわけではないので、人それぞれ覚るしかありません。
しかし神ではなく人間の心の場合には、その人に聞けば分かります。
どういう意味で言ったのか、その人に聞けば分かります。
確認すればよいのです。

しかし言葉自体に引っ掛かってしまうケースもあります。

まだ若い頃のことですが、こんな体験をしました。
ある女の人が、お子さんの話をした時に、私は思わず「お子さんいるんですか?」と言ってしまったことがあります。
その女性とはそれまで何度か会って話をしていたんですが、旦那さんの話はしても、子供の話はしたことがなかったので、私は勝手に『この人は子供はいないんだな』と思い込んでしまったのです。
それである時、彼女が子供の話をしたので、思わず、へえー、子供がいるんだと思い、何気なく口に出してしまったのです。
ところがそのことが彼女は癪に障ったらしく、その後何度も私に「どうしてあのとき子供いるのって言ったの?」と私に聞いてくるのです。
子供はいないと思い込んでいたので、つい言ってしまったんだ、と正直に答えても許してくれません。
『私に子供がいちゃ悪いの?』とでも感じたのでしょうか、かなり癪に障ったようで、挙げ句の果てには電話までしてきて私を問い詰めるのです。どういう意味で言ったのか、と。
「子供を産んだ体形に見えません。抜群のプロポーションですね」とでも答えればよかったのでしょうか(^_^;

私としては単に、子供はいないと思い込んでいたので、そのように言ってしまっただけなんですが、しかしそういう先入観がなければ、そんなことは言わなかっただろうし、彼女にしても、何かコンプレックスのようなものがなければ、私の言った言葉に引っ掛かることはなかったと思います。『飯塚はきっとこういう意味で言ったのに違いない』という思い込みがあって、私をしつこく責めたのだと思います。

人間というのはこうやって互いに自分勝手な思い込みによって、外界を見ています。
こんなことが争いの原因です。
世の中の争いを無くすには、まず自分が思い込みで行動することをやめねばなりません。
どこかの誰かが争いを引き起こしているのではなく、自分自身も争いを引き起こしている張本人なのです。

(続く)


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   次回、お楽しみに!


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