2021/02/08 23:55:01
  • 【霊界物語スーパーメルマガ】三鏡381信濃国皆神山

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 霊界物語スーパーメールマガジン
       2021.2.8
 出口王仁三郎・著『霊界物語』を
 飯塚弘明がやさしく解説します
 (当面の間、霊界物語ではなく
「三鏡」の解説をお送りしています)
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 ╋ 三鏡381信濃国皆神山 ╋


●月鏡「信濃国皆神山」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg381


 信濃の国松代町(まつしろちょう)の郊外にある皆神山は尊い神山(しんざん)であって、地質学上、世界の山脈十字形をなせる地であり、世界の中心地点である。四囲は山が十重二十重(とえはたえ)に取り囲んで、綾部、亀岡の地勢と少しも違わぬ蓮華台である。ただ綾部は日本の山脈十字形をなせる地で、これはまた世界的であるだけの違いである。

 大石凝真素美(おおいしごりますみ)翁は、この地に帝都をおかれたなら万代不易の松の代を現出することができると主張し、世界中心遷都論を唱えて囹圄(れいご)(注・監獄のこと)の人となった事実がある。
 真素美翁ばかりでなく他にもそういう説を唱えた人があるが、最近飛行機が盛んになるにつれて東京は安全の地でないという見地から、信州遷都論が一時ある有志によって伝えられたことがあるが、全くこの皆神山は蓮華の心(しん)に当たっているのだから、四方の山々に砲台を据えつけてさえおけば、いかなる飛行機をもってしても襲うことはできぬ安全地帯である。
 こんな要害のよいところは世界中ほかにない。

 霊界物語にある地教山はこの山である。素盞嗚命が高天原なる天教山より下り、母神の坐(ましま)すこの山にのぼりたまうた事実も、そっくりあの通り出て来たのである。

 私は明治三十一年、高熊山にて修行中、神懸りになって、一番につれて来られたのが天教山の富士山と、この皆神山とである。霊界で見た山はこれよりもずっと大きく美しかったが、大体の形は今見るのと少しも違わぬ。眼下に見ゆる大溝池(おおこうち)、あの形に型取って金竜海(きんりゅうかい)(注・綾部の神苑内に掘った池)は造ったのだ。

 十五丁目から頂上までわずか三丁であるけれど、霊界で一里以上に見え、神界では百里以上に見えた。「世界十字に踏みならす」の御神諭も大いに味わうべきことである。

 神代(じんだい)歴史にある地名はみな、ここにある。天孫の降臨地というのはここのことであって、その昔の天教山(今の富士山)はインドのヒマラヤ山(地教山)の三倍以上の高さを持っていたことはかつて話しておいた(霊界物語 舎身活躍 子の巻第一章参照)。即ち雲表高く聳えていたので、ここを高天原(たかあまはら)と言うていたのである。その高地から降って、この地に来られたのを天降(あまくだ)られたと言うのである。邇々芸之命(ににぎのみこと)より神武天皇までは実に百三十六万年の年月を経過しているのである。

 この山は政治地理的に言えば、長野県埴郡(はにぐん)豊栄村(とよさかむら)に属し、御祭神は熊野出速雄(くまのいづはやお)の神で、綾部の産土神と同じである。往昔(おうせき)素盞嗚の尊がこの山で比良加(ひらか)(注・平たい土器のこと)を焼かれたのが陶器の初めである。私も帰るとこれを記念に新しい窯(かま)を築いて陶器を始めるのである。

(注・ここから編者の言)
 皆神山上十五丁目の地点に腰をおろされて、山上の垂訓にも等しい教えを垂れられたとき、日輪、聖師の上に御光の陽笠(ひがさ)をかざした如く、言語に絶した崇厳な光景を現出したことを付記さしていただきます。なお智慧証覚によって思い思いに取れる、神秘の神話は未だ発表の時期でないと存じ、略さしていただきます。
 霊界物語によると地教山はヒマラヤ山とありますが、日本にあることはみな世界にあるわけであります。


初出:『神の国』昭和4年(1929年)8月号


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長野県の皆神山は、王仁三郎的にとても重要な山の一つです。
オニペディアも参考にして下さい。
https://onipedia.info/wiki/%E7%9A%86%E7%A5%9E%E5%B1%B1

溶岩石で出来たドーム状の山で、人工的に造られたピラミッドではないかという俗説もあります。
標高(海面からの高さ)は659mですが山麓からの比高は280mほどなので、あまり高い山ではありません。

当時の住所としては、埴郡豊栄村に所在していたようです。
それとは別に松代町が存在していて、昭和30年に豊栄村など隣村が合併。
さらに昭和41年に長野市と合併し、現在の住所は長野市松代町豊栄です。

「山脈十字形」というのは、複数の山脈がクロスして繋がっている場所、というような意味だと思います。
このフレーズは王仁三郎文献の中であまり使われていません。この月鏡以外は、霊界物語第1巻第35章「一輪の秘密」に、「国常立尊は、山脈十字形をなせる地球の中心蓮華台上に登られ、四方の国型を見そなわし、天に向かって神言を奏上し、頭上の冠を握り、これに神気をこめて海上に投げやりたまうた」と書いてあるだけです。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0135
これは冠島、沓島が誕生する場面です。
「地球の中心蓮華台」というので、この山脈十字形は綾部というよりは皆神山のようですね。

大石凝真素美は王仁三郎の言霊学の師匠の一人です。
皆神山に遷都しようという案を唱えていました。
実際に帝国政府は第二次大戦末期に遷都に向けて地下壕を掘り進めました。

「素盞嗚命が高天原なる天教山より下り、母神の坐(ましま)すこの山にのぼりたまうた事実」というのは、霊界物語第16巻第12章「一人旅」に記されているエピソードだと思います。
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm1512

「世界十字に踏みならす」というフレーズは霊界物語には何度か出て来ますが、大本神諭には見当たりません。「世界を枡掛け曳きならす」という、似たようなフレーズならあるのですが。。。

神代の富士山は現代のエベレストの3倍の高さがあったとか、その上の方を高天原と呼んでいたとかいうのは、霊界物語第37巻第1章「富士山」に書いてあります。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3701

皆神山の山頂には熊野出速雄神社があります。
https://genbu.net/data/sinano/minakami_title.htm

「綾部の産土神」とは、大本の聖地のすぐ近くにある熊野神宮神社のことです。
昔私が文章がオニドにあるので参考にどうぞ。
「綾部・熊野新宮神社と出口王仁三郎の謎」
https://www.onisavulo.jp/modules/ond/index.php?content_id=147

「素盞嗚の尊がこの山で比良加(ひらか)(注・平たい土器のこと)を焼かれたのが陶器の初めである」というのは王仁三郎の教示であり、一般にはそのようなことは言われていないと思います。

王仁三郎は昭和4年(1929年)5月下旬から6月上旬にかけて長野県に巡教に行っており、6月3日に皆神山に登っています。
この「信濃国皆神山」に書いてあることは、その時の教示だと思います。
「私も帰るとこれを記念に新しい窯(かま)を築いて陶器を始めるのである」とありましたが、実際に翌7月に亀岡で楽焼の窯を造ったという記録があります。

王仁三郎は大正15年(1926年)頃から楽焼を始めていましたが、いわゆる天国茶碗とか耀わん(ようわん)とか呼ばれる色彩鮮やかな茶碗は、第二次大戦後に造られたものです。

宗教法人大本のサイトに王仁三郎の耀わんに関するページがありますので参考にして下さい。
https://oomoto.or.jp/wp/oshie/onisaburo_youwan/


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 お読みいただきありがとうございました。

    次回もお楽しみに!




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